はじめに

はじめに

はじめまして、LifeCinemaを運営する株式会社スタイルプラスブレインの代表松浦英雅です。

名前の英雅は「えいが」と読みます。
父が映画関係の仕事をしていたため、映画=「えいが」=英雅と名付けられました。

幼い頃は、名前でからかわれたりしましたが、今では初対面の方との話のキッカケになるし、映像関係の仕事をする自分の運命を表しているようでありがたいと思っています。

このブログでは、自叙伝やドキュメンタリー映画、ネット動画を紹介していきたいと思っています。
なぜ紹介していこうかといいますと、当社では個人向けの映像製作サービスを行っているからです。

個人向けドキュメンタリー映画というのは馴染みがないですよね。わたし自身、映像の仕事をしていても馴染みがありませんでした。
一時期、自分史を自費出版したり、身の回りにプレゼントするために文章を書く文化があることは知っていました。今でもどんどん自分史人口は増えているようですね。
ですが、映像化するというのは今まであまりなかったと思います。少なくてもネットで調べた限りでは。

では、なぜいま自分史を映像化しようと思ったのかお話していきたいと思います。

キッカケは祖父が他界したことです。

父が大学進学のため上京してきてから、私が生まれるまでずっと東京です。
なので、わたしも東京生まれ東京育ち、祖父とは暮らしてきませんでした。
夏休みになれば、祖父が暮らしている長崎県佐世保に遊びに行くことはありました。長い滞在で1週間くらいでしょうか。
それも毎年行くわけでもないので、生涯祖父と触れた時間はそれほど多くないと思います。

そして私自身も成人し仕事をするようになると、祖父に会いに行くことも少なくなりました。

あえて「里帰り」「実家に帰る」という言葉を使っていないのですが、やはり実家で暮らしてこなかったことが大きいと思います。帰るというよりも、祖父の家に遊びに行くという感覚です。

会社を創業したり、結婚したり忙しくしている間に祖父は他界しました。
齢92歳でしたので、大往生だったと思います。

葬儀もすみ、また日常に戻ったある日、ふと気付いたことがありました。

祖父のことを何も知らないとこに。

祖父は亡くなるまで家業である理容店を開けていました。60年以上同じ場所で床屋をやっていたんです。晩年はお弟子さん(弟子と言っても70歳過ぎのおじいちゃん)がお店を開けていました。

なぜ同じ場所で60年も床屋を営業してこれたのか?
地元で消防団をやっていて、佐世保市の初代名誉団長をいただいたらしいのですが、地元ではどんな人だったのか?
終戦を迎えるまで戦争に5年間も行っていて、戦地ではどんな生活をしていたのか?
祖母との生活はどんなだったのか?

祖父はどんな人だったのか?
知らないんです。

祖父のことをほとんど知らないとこに気付いた時、涙が出ました。家族は大切にと育てられて、自分自身も家族愛が強いほうだと思っていましたが、祖父のことは何も知らないんです。

優しく甘やかしてくれた祖父は知っていても、祖父がどんな人生を辿ったのか何にも知りませんでした。

なんで聞いてこなかったんだろう。いや、祖父の人生を聞こうなんて思いもしなかった。
多分亡くしてはじめて気づくんだと思います。

40代を目前に控えた私の世代は、すでに祖父母を亡くした方が多いので聞いてまわりました。

「祖父母のことどれだけ知ってる?」

たいていの方はほとんど知らないと応えます。
私と同じように、祖父母がどんな人生を送ったのか知らない。知りたいと

おそらく一緒に暮らしていないと思い出も少ないし、改まって聞く機会もない。
祖父母からしても、自分のことなんてわざわざ言うことでもない、と思っている。

そんなところでしょうか。キッカケがないんです。

でも、孫世代は知りたいんです。
ネットに繋げばなんでも分かるこの時代に、身近な身内である祖父母のことを知らない。
調べるにしても限界がある。
これって不幸だと感じました。

ほとんどの人が、祖父母を亡くしてから気付きます。

私はそんな不幸を減らしたい。

自分に何ができるかなと考えた時に「祖父母の人生を切取り映像化すること」だと気付きました。

それからしばらくの準備期間をへて個人向けに生きた証を映画にする「Life Cinema」というサービスを始めることにしました。

幸い製作に協力してくれる映画監督、カメラマン、編集スタジオなど多くの方に支持をいただきサービスを始めることができました。

このブログでは、家族に何を残すかを考え始めた皆様に、少しでもヒントになればと思っています。